自分の子供たちが学校生活や集団生活を送る中で、様々な友達と交流をしていくことになります。
 昔から個性豊かな友人や知人はたくさんいましたが、最近ではその中でも「発達障害」などという個性としてとらえることも多くなってきました。
 クラスに数人はいる、と言われている、個性や特性のある子供たち。
 そんな友達との接し方を、我が家の子供たちを例にとって考えてみました。
「発達障害」の言葉だけでくくれない個性
子供たちは、それぞれに個性や特性を持っています。
 その中でも、ある一定の生きづらさや特性を持っている人たちを「発達障害」という言葉を使うようになってきました。
 その概念は広く、知的な遅れを伴うものから、友達とのコミュニケーションが不得意といった表面上は変わらないものまで、様々なものがあると言われています。
 特によく聞かれるものでは、広汎性発達障害、注意欠陥多動性障害(AD/HD)、学習障害(LD)などが挙げられます。
 ただ、これらのタイプのどれに当てはまるのかを診断するのは、その人の年齢や環境によって特性の現れ方が左右されるため、難しいと言われています。
 私の息子たちがこれまで過ごしてきた中でも、はっきりと親御さんから聞いたり、ちょっとグレーゾーンかなと思ったりする友人が何人かいます。
 そういった個性がある友人と関わるときには、ちょっとした気遣いや心配りがあるとスムーズにいくこともあるものです。
「ダメ」と言われるのがダメな友人
次男の友人に、こんな男の子がいました。
 これはやってはいけないこと、と先生に言われていることをやったので、次男たちが彼を注意します。
「それはやっちゃダメなんだよ」
 子供はこういう言葉で注意をしがちです。
 ところが、この言葉を聞くと、彼は逆上して泣いたり暴れたりしてしまうのです。
 一緒の生活班になったから、どうしても注意したい。なのに聞いてもらえない。
 次男は困り果てて帰ってきました。
 やっちゃダメなことをダメと言えない。
 だけど、ダメなことはダメだからなんとかしたい。
 しばらく考えて、ふと思いつきました。
 「ダメ」という言葉に反応しているんじゃないのかな?と。
 私達はついうっかり「ダメ」という言葉を軽く使いがちです。
 だけど、「ダメ」という言葉には、相手を全否定するニュアンスがあるんじゃないのかなと思ったのです。
 それなら、言葉の選び方を変えてみよう、という話になりました。
 彼にやってほしくないことがあったら、「そういうのはよくないと思うから、こうしたらいいんじゃないかな」と言い換える。
 この言葉選び一つで、格段に伝わり方が変わりました。
 今まで泣いて暴れてどうしても聞いてもらえなかったことが、冷静に聞いてもらえるようになりました。
 子育てでも「ダメ」という言葉は多用しないほうがよい、と言われます。
 やってほしくないこと、注意したいことは、「ダメ」以外の言葉で伝えるのがよい、というのを実感した例です。
暴れる友人はなぜ暴れるのか
三男の友人には、何かと暴れる子供がいます。
 気に入らないことがあると、周囲のものを投げたり、手をあげたりすることもしばしば。
 三男は比較的そういったトラブルにずっと巻き込まれてきました。
 殴られたり、蹴られたりするのは日常茶飯事。

我が家の三男は末っ子だけあって、負けん気が強く、何事も負けるのが嫌いな性格の子供です。
 トラブルがあれば、小さなうちは口も出ましたし、手も出ます。
 その性格が災いし、トラブルというトラブルには本当に巻き込まれてきました。
 どうしたらそのトラブルを回避できるのか、考えた末に出た結論はやっぱり言葉選びです。
 三男は思ったことをすぐに口に出してしまうタイプ。
 一方、友人は自分の思ったようにならないと暴れるタイプ。
 例えば何の気なしに三男が口にした言葉が、その友人の「暴れるスイッチ」を押してしまうことがあるのではないか。
 毎回、トラブルがあるたびに、なぜそうなったのか、どうして巻き込まれることになったのかを三男から聞き出しました。
 すると、三男や周りが冗談で言ったつもりの言葉が、相手に通じずに怒ったりしているのではないかということがわかったのです。
「冗談で言ったつもり」というのは難しいもので、冗談でも言っていい冗談と悪い冗談があるものです。
 冗談だったから、では済まされない言葉だってあるからです。
 そのことを子供と考えて、「冗談でも言わない」を心がけるようにしました。
 それだけで完全にトラブルが回避できたわけではありません。
 でも、言葉を選ぶことが大事だ、ということは理解してくれたのではないかと思います。
みんな自分と一緒ではない
子供たちが巻き込まれたトラブルを振り返ってみると、「相手と自分は一緒ではない」ということを理解しなければならないのだと思います。
 言葉選び一つでも、相手が不快に思うこと、そのレベルは自分と同じではない、ということです。
 自分なら10言われても大丈夫であっても、相手は1でも言われたら不快なのかもしれない。
 それを小さいうちから理解することは大変なのかもしれません。
 それでも、我が家の子供たちは、個性や特性のある友人たちと付き合うことで、少しずつ学んできたのだと思います。

誰にでも個性や特性はあります。
 もちろん我が家の子供たちにもあるわけです。
 その個性をお互いに理解しあって、ようやくトラブルのない友人関係が結べると思うのです。
時にはトラブルの事前回避も
と、ここまでは自分の子供たちが相手とどう接したらよいのかを考えた、という話をまとめました。
 でも。
 どうしてもトラブルが回避できないときだってあるはずです。
 我が家の三男は、自分に非がないときでも、「そこにいるだけ」で暴れる友人に殴られたりすることがありました。
 もうこれは避けようがないトラブルです。
 どんなに本人が気をつけていても、無理な時には無理なのです。
 これはどうしても私達大人がなんとかしなければなりませんよね。
 私は学校に連絡をして、とにかく近づけないようにしてほしいとお願いしました。
 学校の座席であったり、生活班のようなものであったり、極力一緒にならないようにという話をしました。
 本人が気をつけていけるものは気をつける。
 それでもだめなら、事前回避できる方法を考えるのも一つの手だと思います。
子供たちはまだまだ友人関係で悩んだり困ったりしています。
 その都度、相手とのつきあいかたや言葉の選び方を考えていけるように親として一緒に考えていかなければいけないのかなと思っています。



